玄関前にいた部長を呼び止める。
部長は私に気が付くと、

「しかしまあ、俺も間抜けだよなあ。佐藤君が転居先を突き止めるなんて考えもしなかったからなあ。それでまた、助けてしまうあたりがお人よしというか何と言うか。」
「全て裏で糸を引いていたのは部長だったんですね。」
「何のことだ?」

そう言われてはたと困った。
私は、部長が彼女を操って横領に加担しているものかと思っていた。いや、思っているのだが、何のことと言われると答えようがない。

「私は、彼女と昔から付き合っているんだ。私は独身だしかまわんだろう。君と二股をかけられていたことを知ったときにはショックだったが、同じ女を愛した者同士と思ったら、君の事を他人だと思えなくなってね。つい世話を焼いてしまったわけだ。」
「・・・・・・」

何のことやらわけがわからない。そんな言葉を信用したりはしないが、とにかく容易ならざる相手であることは間違いなさそうだ。
今でも社内の山岳部で活躍しているという体力だけでも侮れない。先ほどの石投げの腕前といい、恐るべき相手である。

「まあ、とにかく彼女の部屋に上げてもらおうか。」

部長がインターホンを鳴らして名乗ると、ドアはあっさり開いた。
彼女の姿を見ると、やはり怒りが新たに湧き上がるのを感じたが隣にいる部長の存在がこれを押しとどめた。

「部長はずっと昔から彼女と付き合っていたっておっしゃってましたよね。」
「そうだが。」
「では、あの若いカニの男のことはご存知でしたか。」
「うすうすな、でも逢ったのは今日が初めてだ。あんな若造がいいとはなあ。やっぱりショックだよ。」

彼女はうつむいている。

「良子。酒を出せ。」

彼女は無言で、日本酒を用意する。これは部長の好物の久保田の「万寿」である。こんな酒をよく置いてあるものだととびっくりする。これも私が用立てた金で買ったものなのだろうと思うと、怒りを通り越して空しい。

「お前にはお仕置きをせねばな。・・・・。良子。あれをやれ!」
「あれって何ですか?」
「あれって言えば決まってるだろ!かに道楽だよ!」

「あれだけは勘弁してください!私はズワイガニじゃないです。それにタラバガニは、カニって言ってるけどカニじゃなくってヤドカリの仲間です。だから勘弁して下さい。」

良子は涙ながらに懇願する。

「いいから、やるんだ。やらなかったらどうなるかわかっているだろうな。」

感情を現すはずのない目におびえの色が走った。ついに良子はあきらめ切ったような表情をして服を脱ぎ始めた。
部長が歌う。

とれとれ、ぴちぴち、カニ料理~。」

良子はその節に合わせて涙を浮かべながら脚を動かす。

「ほら、佐藤課長も笑いなさい。面白いだろう。所詮こいつはカニなんだよ。くよくよするなよ。ああ、カニカニ。」

どこからともなく用意したタラバガニの缶詰を開けて、これを酒のつまみにしつつ、部長は腹を抱えてゲラゲラ笑う。自分はここで大笑いをするところなのだろうが、あまりの悪趣味ぶりに笑えなかった。
さっきのさっきまで食べるつもりでいたのに急に良子が哀れに思えてきた。ひょっとして自分は良子を本当に愛していたのだろうか?なんて気すらしてきたのである。

「もうやめていいでしょうか?」
「駄目だ。俺がいいと言うまでやめてはならん。」

ひたすら良子はかに道楽の看板の動きを続ける。
1時間ほど経っただろうか。

「まあ、いい。この辺で今日のところは許してやろう。礼は?」
「・・・」
「お礼を言えと言っているんだ!」
「あ、ありがとうございます。」

それは消え入りそうなほど小さな声だった。

「よく聞こえないぞ。歳を取ると耳が遠くなるんだよ。ちゃんと言わんか!」

ねちねちと部長は良子をいたぶる。
この日は部長に車に乗せてもらって帰宅したが、帰りの社内で部長は饒舌だった。

「まったく、カニの分際で何様のつもりだよなあ。二股?三股?まあ、脚10本だからなしょうがないか。わははは」