JICAの一般公開に行ってきた話

JICAのゴミ箱 見聞録つまりエッセイ

この記事は2008年に公開したもので一部加筆修正している。

つくば市にあるJICAのイベントに家族で行ってきた。
一応、知らない方に説明しておくと、

1974(昭和49)年に「海外技術協力事業団」、「海外移住事業団」等の業務統合により、「国際協力事業団(JICA)」が発足したとのこと。実は自分も知りませんでした。まあ、知らない人を代表して、自分のために説明したって感じ。
もっと詳しくお知りになりたい方は、JICAホームページをご覧ください。

すごい立派な建物で、冷房とかもばんばん効いていて快適。


ロビーには巨大な液晶テレビとかあって、ソファーや絨毯なんかもそれなりに高そう。お金かかってますって感じ。


また、ロビーには世界の学校のジオラマ模型が展示してあった。この写真はニジェールの小学校。みんな屋外でこのように勉強しているらしい。
このJICAの建物一つでどれだけ、小学校がつくれるやら・・・。などということを思う。

とはいえ、説明をしてくださった職員の方は、とても熱心だった。
箱物行政をする偉い人と、実際に使命を持って仕事をしている人は違うわけだ。

世界には学校に行けない子供たちがいっぱいいる理由を、実際に写真を見せたりジオラマ模型を見せたりしながら分かりやすく説明してくれた。
実は自分は、子供にはこういうことを考えてもらいたいのである。先進国に住んでいて贅沢三昧をしている我々はキリストから言わせれば、

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」

に当てはまるに違いない。

我々が享受している罪深い幸福は、このような不幸せな世界と裏腹の関係にあるということを知ってもらい、そして考えてもらいたいと思っているわけだ。

我々の次の世代は、環境破壊が著しく進行し、ひょっとしたら世界中がそのような貧困に直面するかもしれない。そうならなくてもできることならば、やはり世界の人々が幸せに暮らせたほうがいいに決まっている。
自分は何にもできんが、次の世代が何か解を見出すことを期待したいわけだ(って思いっきり日和見主義です、すいません)

ごみの山で資源ごみを拾い集める子供の写真を見せられて、不意にむちゃくちゃ悲しくなった。
そのときの説明では話をしていなかったが、以前新聞の記事だったかで、家計が苦しいために幼い子供がそのような仕事をし始めたという話が掲載されていた。
ゴキブリが飛び出したさまをみて、初めてみる物体に恐れおののく様が文中につづられていて、それが年栄えが自分の子供に近かったので、無性に切なくなったのである。
そんなことを思い出した。


そのような説明のあと、こんな場所を通って移動して海外からの研修生から自国の食生活などについて、パソコンでプレゼンテーションがあった。教室は普通な感じでそれはちょっとよかったな。


ウガンダやアフガニスタンなどから来た方たち3名が、食べ物、動物、生活などについていろいろ説明をしてくれた。お姉さんが通訳をしてくれるのだが、これがまた実に難儀だった。

食べ物の名称とか、なんとしゃべっているのか分からなくて、英語でいっていてもまたなに言っているのかようわからんらしい。英語ネイティブではない人とコミュニケーションをするというのは難しいことが分かった次第である。
通訳のお姉さんも、食べ物を6つ写真で説明する中で、3つしか訳していないっていうシーンもあった。

終わって「質問とかないですか?」と言われても、質問が低調だった。

それは言語の壁をみなが感じたからだろう。うちの息子は質問とかしたがるのだがこのときは黙っていた。実に国際化というものは難しいと実感した。

イベントとしては民族衣装を着させてもらったりとか、その国の楽器を演奏させてもらったりとかいろいろと・・・。

そうだ、職員食堂を開放していた。イスラム圏からの来訪者に配慮してハラール料理というものもあった。
結構安くて美味しかった。JICAの職員になりたいなと思った(嘘です)。


最後の写真は大して意味があるわけではないのだが、趣があったので掲載してみたかった次第。

※追記なのだが、我が家の息子はこの時はまだ小学校低学年だったが、もう大学生である。
海外でのボランティアには興味はなさそうなのだが、大学で東南アジア系の言語を専攻していて、結構いい感じにマスターしてきているようである。

ひょっとしたらそのうちJICAのお世話になるかもしれん。

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