海に着いた。
6月だというのに海風は冷たく、そうして夜のオホーツク海はひたすら暗かった。
またしても携帯が鳴る。今度は妻からだった。
「あなた、やっぱり帰ってきて。もう一度、やり直せるんじゃないかと思えてきたのよ。」
「ごめん。僕は会社の金を横領していたんだ。それで会社から指名手配になってるんだよ。やり直すのは無理だ。」
彼女が横でささやく。
「私はやっぱり海に還るわ。課長は自首して。そうすれば、何年かしたら奥さんのところに帰れるわ。」
その言葉を聞いたら不意に涙が溢れて止まらなくなった。
旅館を探してその日は一緒に寝た。
翌朝、旅館を出て、人気のない納沙布岬から海を眺めた。
次の瞬間ありえないものが視界に入ったのである。
そこにアンパンをかじりながら立っている部長がいたのである。
「もう、空港を降り立ったときから分かってたんだ。逃げられないって言っただろう!」
部長は立てかけてあったチェーンソーを持ち上げた。
「こいつだったら、殻をらくらく割って味噌を取り出せるぞ!それで、佐藤君にも悪いが死んでもらうよ。君はここで横領を苦にして自殺したことになるんだ。」
不意に眠気が襲ってくる。
「さっき旅館のお茶をすりかえて睡眠薬を入れておいてたんだ。早い逃避行の終わりだったねぇ。いやあ、残念残念。」
「部長は、僕を生かしておいてもっと金を吸い上げようって思わなかったんですか。」
「何だ、そんなつまらないこと聞いたのか。しょうがないなあ、どうせ死ぬんだから教えてやろう。君は、今回の入院騒ぎで経理課を外されたんだよ。もう、君に利用価値はないわけさ。残念だったなあ。」
部長がチェーンソーを彼女に振り降ろした。
チェーンソーをもってしてもやはり硬いのだろう、彼女の甲羅の途中で止まって身動きが取れない状態になっている。その時に彼女は私にしたように部長を強く抱きしめた。全身を強く締め上げる。
一瞬の出来事だった、刃が彼女を切り裂いたときに、部長も息耐えた。
私は、彼女の最後の声を聞いた。
「私は、昨日あなたの子を宿したの。お願い海に・・・。ほとんど他の魚に食べら・・・ど、運がよけ・・・何匹かは大人になって帰っ・・・わ。私みたいに。だから、おねが・・・・・」
彼女も息を引き取った。
私も睡魔に抗しきれず、その場で意識を失った。
日が高く昇った頃、私はようやく眼を覚ました。
まだ、一人と一匹はそのままであった。
私は、旅館に戻ってタライを借りてもってきた。
彼女の体は半分に割れていてた。しかし、味噌を食べようという気はこれっぽっちもなくなっていた。
タライに海水を汲んで、丁寧に卵を掬った。
海に卵を孵す。
波が卵をさらってゆく。
しばらくそのまま海を眺めた。
私も、このまま海にと思った。
しかし、強い力がそれを押しとどめる。
「佐藤和夫だな。業務上横領及び、傷害の容疑で逮捕する。」
しばらく、ことの次第がわからなかったが、我に返って、
「そうか、全部終わったんだな」
そうつぶやいた。
私はこのあっけない旅の終わりの結末に対しては何の感慨もなかったのである。
コメント
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いやあ、田村さん、なんて言ったらいいか、あまりに凄い事の顛末に言葉もありません。最初の頃の感じでは、まさかこういう展開になるとは想像もできませんでした。良子がカニでなかったら、火曜サスペンス劇場のようでもあり、文学的でもあり、妙にリアリティがあるかと思えば、ナンセンスに戻ったり、11、12話あたりでは泣きそうになるくらい感動してしまったりで、読者も忙しかったわ^^;楽しませていただいてありがとうございました♪傑作ですよ、これ!
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感想ありがとうございます。kiyory様は作者を喜ばせるつぼを知ってますねぇ。私もこういう展開になるとは思わなかったので、読者の人が読めないのもまあそれはそうだろうなあって思います。そうそう、火曜サスペンスみたいっていうのは私も思います。最後はまるっきりそんな感じですね。っていうか、最後の最後はステロタイプにそれに徹してみようなんて思った次第。そうそう、おしまいのプロットの部分だけは最初の構想にあったのですが、その通りのエンディングにできなかったらどうしようかとはらはらしました。
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一気に読ませて頂きました。随所に笑いをくすぐる文面で楽しめました。「二人は巨大な首をかしげていた」が特に笑えました。
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>アンパンをかじりながらあらわれたと言うことは部長は部長刑事のよう・・・人間とカニのハーフってありなんですね。うーん、佐藤和夫さんはなんだかんだ言いながら良子のことを本当に愛していたのか。羨ましい。☆田村さん、本当にお疲れさまでした(^^)
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Kiyoryさんのコメに一票!最後は火サス…脳裏に、あの海辺と寂しそうに刑事に連行されていく佐藤課長の姿を思い浮かべましたよ…でも、愛した女はカニ…出所後は人間にしようね、佐藤課長…それとも佐藤課長がカニになって後編が?…とか、やっと終わった塾長に新たな難題がっ!?…アハハ!ほんと面白かったですwお疲れ様でした&ありがとう御座いました☆
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一気に読みました。荒唐無稽で面白かったです。田村さんの文章の登場人物の特徴は大人でありながら道徳感が無いということです。法律は意識しているけど道徳は精神に根付いていなくて知識しかない。だから行動に際していつも子供のように迷い反社会的な行動をとるんですね。そのあたりが斬新です。
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hirow様>ありがとうございます。首ってどこなんでしょうね。っていうか、首ないし。かしげようもないしなあ。って、言われてみて気がつきました。しかしまあ、思ったのですが、笑いのつぼって人によって違うんですね。私はそのギャクは軽いジャブぐらいのつもりでした。
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人魚様>部長刑事?刑事部長?どっちだっけ・・・。まあ、それはともかく、どんなものが生まれるのやら。うらやましい、ってでも妻子ある男から愛されてもっていう風には思いますね。どうせだったら、もっとお金持ちで、かっこいい若い男から愛されたほうが幸せ、なーんて冗談ですが。
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ねんね様>そうですね、その姿が何となく眼に浮かびますね。私的にはそのシーンでは特捜最前線のエンディングテーマ「私だけの十字架」が頭の中で鳴ってました。画面の中のイメージは何故か火曜サスペンスなわけで、歳がばれるなあ。佐藤課長はその後どうなるのでしょうねえ。私も興味があるような、実はないかも(笑
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王子様>お久しぶりです。言われてみればそうですね。私の創作物の中の人物は全く道徳観がこれっぽっちもないですね。っていうか、道徳ってかえりみてもないですね。言われてみればそうですね。気がつかなかった。作者そのものはそんなことはまったくない小心翼々とした小市民なんですけど何ででしょうね。
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大作まずはお疲れ様でした。また大変楽しく読ませて頂きました(^^ そしてただただ感心、感服するばかりでございますm(_ _)mハハーッ 後kiyoryさんやクールさんの観察眼は非常に興味深く、とても勉強になりました。おかげさまで読み物の楽しみ方の幅が少し広がったような気が致します。モチーフも面白かったですが、それを余すとこなく書き切った田村さんの文章力と、そして田村さん独特の世界観に見事に引き込まれました。私も傑作1票行かせて下さい(^^
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「海に還る」という選択肢もあったんですね!!(その前に力尽きてしまったけれど…)バケツを借りてくるとこらから数行がとても、好きです。部長、怖すぎる!とてつもないサイコ野郎ですね!!
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田村さんのブログは、最初はコメントも出来ずにモジモジしていたんですが、やっぱり通い詰めて良かったととても感じました。この度は良いものを見せていただき本当にありがとうございました。いつか新カニシリーズが再開する事を楽しみにしております。
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まいのり様>いつも読んでいただき恐縮至極です。残念ながら余すとこなく書けたという気はしてないんですよぉ。実は・・・。手を入れてみっちり直して、再度乗っけなおしたいと思ってます。そうそう、上記のお二人の感想は鋭いなって思いました。感想文も面白いですね。時には原作を超えるときもありそうです。
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ようこ様>絶対それは思いもよらない落ちだと思います。これだけはちょっと自信ありです。バケツじゃなくて金ダライにすればよかった。ってあとで思います。って直せばいいんですけどね。部長のキャラは筒井康隆の影響を受けているのかも知れませんね。
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ゆき様>ありがとうございます。そういっていただけると書いていて良かったですね。まあ、ユキさんのブログに比べますと、読者も少なくてどっちかと言うと地味なブログですが、今後ともよろしくでありまする。
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昨日何気に見つけた本屋さんでこの小説に目が止まり立ち読みしました~~。全部読んじゃった!人間の感情が、(裏の部分)表現されていて、それでいて、ありうる事だな。などと思いました。おもしろかったです!
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何気に見つけた本屋さんとは、ぶらっと散歩してた、近所の本屋さん。【45万部突破!ベストセラー】の言葉に惹かれ一気に立ち読みです。 なにやら、田村堂出版とか書いてありましたよ。
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かおっぺ様>ああ、なるほど。さもありそうな話ですね。自分で書いた本が45万部とか売れたら最高だなあ。って、自分には縁のなさそうな話です。
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いや!!そんなことはありません!!なにせ、その書いた方の顔写真が 載っていたんですが、なにやら中が裸でそんで、サンダルはいてネギ持ってるんですよ。どこかで見かけたような・・・ん~~~~。