牛久市民のアイデンティティーといえば牛久シャトーである。

全国的に有名な牛久の観光地というと牛久大仏であるが、牛久大仏はできたのは1992年と割と最近(?)である。
牛久の土着民(実際はおとなになってから住むようになったのだけど)としては、なんといっても牛久といえば牛久シャトーである。
ところが2018年12月28日に閉鎖となった。
この閉鎖は2ヶ月前の10月30日の運営会社の取締役会で決まったものらしく、告知からの期間の短さも相まって驚きであった。
牛久市にとっても晴天の霹靂で「もっと早く相談してくれれば何か手のうちようもあったのに」ということであった。

後で調べてみたのだがなぜこのタイミングで閉鎖なのか?と不思議に思ったものである。
確かに牛久シャトーを運営しているオエノンホールディングスは3期連続の減収減益ではあった。しかし、最大の収益源である酵素医薬品事業は比較的堅調で、2018年の経常利益は16億円も出ている。もう少し早く相談するなり、もう半年後ろに伸ばすこともできただろうとは思うのである。

結婚式場としても使えるようにということでチャペルを作ったりとか経営努力は行っていたわけではあるが、これ以上見込みの立たない慢性的な赤字部門はリストラすべきという結論になったのだろう。
チャペルも全く稼働している気配がない。
息子の七五三の会食で使用した和食の富貴洞も閉店して、オエノンホールディングスの企業PRの展示施設になった。これは一円も金を産まない。
売店もあまり売れていないようであった。
といったわけで、出血を早く止めるべきだという結論に至っても不思議ではないが、もうちょっとなんとかやりようはあったのではないか?とは思うのである。

とはいえ、我が家は牛久シャトーの経営にほとんど貢献してこなかった。

売店を利用するにも私はお酒も飲まないし、レストランは結構いいお値段で普段にいくような感じでもないし。
バーベキューもあるがこれも結構高いしというわけで使ったこともない。
という訳で我が家はほとんど経営に寄与することはしなかった。なので、閉鎖についてと論評する理由もない。

よく鉄道が廃線になるという発表があると、廃線反対運動が起きる。しかし、その運動をしている人はその路線を使っていたんですか?って思うわけである。
使っているなら文句を言うのも仕方ないが、使ってもいないのに文句を言うってあんたなんなの?って感じである。

閉鎖発表後、牛久市は再開に向けて努力を続け、2万人を超える再開の署名を集めたということが報じられた。
これを見たときに「署名ぐらい懐もいたまないし、いくらでも書けるよね、でも実際再開したらみんなお金を使うの?」と思ったものである。

さて、閉鎖発表後、唯一残ったレストラン「キャノン」に行ってみたら閉鎖日まですべて予約で一杯で入れなかった。
バーベキューはやっていたのだが結構寒いし値段も高いし、あまり美味しくもないので「これはお客がこないわけだ」と思った次第。

「じゃあ、牛久シャトーの存続のために年間1世帯いくらぐらいまでなら出してもいいと思う?」という話を家族でした。
「年間5千円ぐらいまでじゃないかなぁ」

牛久市の世帯数は4万戸強なので、1/10がこれに参加したとしても年間2千万である。これだけでは支えきれないだろうと思ったのである。
売店の人員がだいたい3人、庭園の維持に3人、施設内の清掃メンテナンスに2人ぐらいざっくり必要だと思う。
パートやアルバイトをメインで使ったとしても、人件費だけで月間160万円以上かかりそうだ。それに水道光熱費、まあこれも月に30万以上はかかるだろう。そして固定資産税も年間で1千万円ぐらいはかかるだろう。最低限の運営だけで年間5千万ぐらいざっくり掛かりそうな気がする。修繕とか諸々入れたらその1.5倍ぐらいにはなりそう。うーむ、全然足りん。などと思ったような次第だ。

これは再開は難しいかなぁと思っていたのだが、昨日(2020年6月20日土曜日)牛久シャトーの営業が再開したのである。
チラシなどで告知をするわけでもなく、ひっそりと始まったわけだ。というわけで行ってきた。

コロナウイルスの影響は懸念されたがそれでもそれなりに人は集まっていた。

牛久シャトー再開後の様子※クリックすると拡大します

オープンに合わせて模擬店が出店するとのことだったのだが、でていたテントは3張だけ。
自分はお酒は一滴も飲めないし、妻もビール党なのでそんなに飲むものも買うものもなく、ミートデリカなかじまのコロッケとメンチカツを食べたぐらいで、これはいつでも売っているしなあ、うーむ。という感じである。

市を含めて運営する第三セクターでこれから牛久シャトーは運営されていくのだが、早くも暗雲の予感である。
なんとか存続して欲しいのであるが・・・。

久しぶりに行った牛久シャトーは非常にいい感じであった。

神谷傳兵衛記念館の1階

牛久シャトーのワイン樽

ワインの醸造室。
この部屋は昔から入れた部屋で、牛久市民であればおなじみといってもいいだろう。

神谷傳兵衛記念館の展示物

神谷傳兵衛記念館展示物

どうやら牛久駅からシャトーまでワインを運搬する線路などもかつてはあり、その写真なども展示されている。わりと閑散としていた。
再開初日でも人出はこんなもの。まあ、こういう展示物はどこでもそんな人気が出るものではないしなあ。

神谷傳兵衛記念館の地下の醸造所跡

牛久シャトー地下の醸造室

地下の醸造所。以前は中央部分で通行止めになっていたが、現在は端から端まで通行することができる。

牛久シャトーの地下の醸造室

非常に良い風情。この日は非常に暑かったのだがひんやりしている。

牛久シャトーの中庭

牛久シャトー

左手にチャペルが見える。

ここには何かあったのだろうか

まったく思い出せない。というか最初から何もなかったのかも知れない。

オエノンミュージアム(旧日本食レストラン富貴洞跡)と日本庭園

オエノンミュージアム(富貴堂があった建物)

大きな錦鯉がたくさんいる。
我が家にもこんな大きな池を作りたい(無理だw)

オエノンミュージアム(旧日本食レストラン富貴洞跡)

オエノンミュージアム(富貴堂があった建物)

オエノンミュージアムの展示物

オエノンミュージアムの展示物

中はこんな感じです。我々以外誰もいない。

ブルー・コメッツハチハニーの歌

ブルーコメッツのハチハニーの歌だそうである。私はグループ・サウンズは結構好きでブルーコメッツも好きなのだが、この曲は聞いたことがない。
どうやらCMソングらしい。

作詞橋本淳、作曲井上忠夫というあの大ヒット曲ブルー・シャトーと同じコンビの作品だ。
聞いてみると実に井上節炸裂なのに、アルバムに収録されていないのである。
このハチハニーの歌はソノシートでしか残っておらず(ビニール製のペラペラな簡易版のレコードね)、しかも歌詞が1番しかないという残念なものである。
すこーし歌詞を変えて、3番まで作ってレコードに収録すればよかったのにと思う次第である。

・・・横道にそれた。

展示物はなかなかレトロでおしゃれな感じ。
有楽町あたりの洋食屋さんが壁に飾っているようなそんな雰囲気の販促物がいっぱい。
これPDFとかで配布してくれないかな。

これからの牛久シャトーについて

現在の牛久シャトーの収益はレストラン1軒の家賃収入と売店だけである。
これだけでは黒字になりようがないと思う。
収益を生む機会が少なすぎる。

そこでちょっと考えてみたのだ。まあアイデアというところである。

写真スタジオとして使う

シャトーの一部をスタジオに改造して写真を撮れるようにしたらニーズはあると思う。
牛久市民であれば誰でも知っているので、ここで七五三や、成人式の写真を撮りたいというニーズは確実にあるはずだ。

ドローンの練習場

バーベキュー場の跡地についてはこんな使い方とかありそう。

やっぱり結婚式場

せっかくチャペルを作ったのだから結婚式場として使いたい。
地味に式をあげるカップルが多いので、会場が安く借りられて記憶に残るようなところであればニーズは確実にあるだろう。

戸外なので悪天候の時どうするか?なのだが、ミュージアムの一番奥の部屋は今はほぼがらんどうなので30人ぐらいまでの式ならこなせると思う。
あるいはすでにレストラン「キャノン」があるのでここを貸し切れば簡単だ。

もし、これをやるというのであれば、集客が最も問題であるが自分だったらそれなりにできそうな気はする。

やっぱりバーベキュー場

霞ヶ浦総合公園や龍ケ崎森林公園などにはバーベキュー場はあるが、高かったり手ぶらで行くなら予約が必要なことである。
近年では焼き肉の食べ放題を提供している飲食店は数多い。
この手の飲食店やあるいは精肉業者を誘致して展開すれば安く、かつ美味しいものが提供できると思う。

夜は肉バルとかにしたらかなり楽しそうだ(まあ、私は飲みませんけどね・・・)。

タイムシェア型飲食店とか

都内などにはたまにあるが、もともとの店が店休日の日だけ別の経営者が別の飲食店を運営しているといったケースである。
普段は和食の店なのだが水曜日だけラーメン屋みたいな感じだ。

土日だけカフェをやってみたいと思っているようなサラリーマンはいっぱいいるはずだ。
腕に覚えがあってけど、開業資金はないといったケース。
飲食店の営業のためには調理師免許は必要なく、食品衛生責任者だけ持っていれば可能だ。これは1日の講習だけで取れる。

そういう人にバーベキュー場にある厨房だけ貸して、あとはお客さんに好きな場所で食べてもらうとかは面白そうだ。冬や荒天のときは福岡の屋台みたいな感じのテントで食べてもらえばいいだろう。
4・5軒のそういうお店が常に新陳代謝して入れ替わっていれば、飽きることなくお客さんは来るだろう。少なくとも自分はいく。

終わりに

市では当然色々考えていると思うのだが、なかなか難しいと思うのである。
ぜひ色々アイデアを出してなんとか牛久シャトーを存続させてほしいと思う次第なのである。

滅んでしまった第三セクター鉄道のようになりませんように・・・